岩永 哲


きょう9月17日は
「枕崎台風」の上陸から75年です。

今月は、特別警報級と予想された
台風10号の九州接近もあって、
過去に記録的な勢力で上陸した
台風が注目されましたが、
枕崎台風の上陸時、現地の測候所で
観測された気圧は916.1hPa。

今であれば間違いなく
特別警報が発表されるであろう
記録的な台風でした。

この枕崎台風は、
伊勢湾台風、室戸台風とともに
「昭和の三大台風」
呼ばれています。

そして、
広島の気象災害の歴史を語る上で
枕崎台風の被害を
外すことはできません。



1945年9月17日午後2時すぎ、
鹿児島県枕崎市付近に上陸後、
九州を縦断し
17日の夜に広島付近を
通過していきました。

枕崎台風による
死者・行方不明者は
全国で3756人。
うち2000人あまりが
広島での犠牲者でした。


気象庁ホームページをみると
過去140年ほどの残っている
広島地方気象台の観測記録の中で
気圧の低さや1日の雨量、
風速の強さの上位の記録に
当時の枕崎台風による観測値が
ランクインしています。



枕崎台風の広島における被害を
詳しく取り上げたのが
「空白の天気図」です。

柳田邦男さんが
1975年に発表した作品で
原爆投下やその1か月後に襲った
枕崎台風について、
当時の気象台職員たちの姿を通して
描いたドキュメンタリーです。
それまで原爆被害の陰に
埋もれがちだった
枕崎台風の被害の実態を
掘り起こしました。



作品の主な舞台となったのが
広島市中区の江波山気象館です。
全国でも珍しい気象を
テーマにした博物館ですが、
戦前から昭和の終わりごろまでは
広島の気象台として
使われていました。
館内には今でも原爆の爆風で割れた
ガラス片が突き刺さった壁や
爆風で曲がった窓枠などが
そのまま残されています。

江波山気象館HP

5年前、枕崎台風の上陸から
70年のタイミングで
柳田さんに広島に来ていただき
取材をしましたが、
空白の天気図を執筆するきっかけを
次のように話していました。



これまでに100冊以上の
ドキュメンタリー作品を
書いてきた柳田さん。
その取材活動の
原点となった場所が広島でした。
1960年にNHKの記者となり
最初に赴任した土地で、
およそ3年半、原爆報道を中心に
携わりました。

一方で、柳田さんが
枕崎台風について知ったのは
広島を離れてから
ずっと後のことだったといいます。



作品で描かれているテーマの一つが
「原爆」と「大型台風」という
2つの災害に見舞われる中で奮闘する
気象台の職員たちの姿です。

その中で出てきたのが
「空白の天気図」という
タイトルでした。



東日本大震災では、同時に起きた
「巨大津波」や「原発事故」によって
「複合災害」というキーワードが
注目されましたが、
その光景は、柳田さんにとって
かつての広島の様子と
重なるものがあったといいます。



複合災害の象徴として、
作品で詳しく取り上げたのが
廿日市市大野にあった
陸軍病院を襲った土石流被害です。
ここでは被爆者や
治療にあたっていた医療関係者、
支援に来ていた
京都大学の研究者など
150人以上が命を落としました。

大雨だけなく、地震、火山など
多くの自然災害のリスクがある日本。
さらにコロナ禍も加わった状況では
複合災害はいつ起きても
おかしくないのかもしれません。




被爆直後で観測を続けること自体が
厳しい環境で
さらに台風に襲われる中、
懸命に観測記録を残そうとした
当時の気象台職員たち。
その時の実際の記録は
江波山気象館に保存されています。




枕崎台風の被害をまとめた
調査報告書には
被災地をめぐって
たくさんの人と出会って
聞き取りをした様子や
現地の土壌の特徴などを調べて
土石流が起きた背景について
考察も載せられています。

最近、豪雨災害が起こる度に
目新しい言葉を使って
新たな事実が分かった…
といったような
伝えられ方がよくされます。
ただ、よくよく見ると
その多くは
過去に起こっていることと
本質的になんら変わらないことが
少なくありません。
過去の歴史を知ることの
大事さを実感します。



気象業務にも合理化が求められ
人員削減や観測の自動化が
進んでいます。
当時の気象台職員が
命がけで残そうとした熱い思いが
今の現場にどれだけ
受け継がれているのかは
わかりません。

ただ、過去の
こうした記録の存在を
後世へ伝えていくことは、
私たちの防災意識の向上に
つながっていくのではと
感じています。



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