映画「ボヘミアン・ラプソディー」を2回も見た。1回目は何に感動しているかわからないほど泣いた。切なくて泣いた。


大学で上京してきて水球漬けだったボクは、日吉の合宿所からほとんど出ることはなかったが、唯一、六本木にあるアメリカ資本の高級クラブのウエイターのバイトのときだけ都会に出た。


そこは、歴代その部活の先輩方が勤め後輩に譲り渡すという職場で、大人な雰囲気のところだった。外国雑誌でみるような店内と、大人たちの社交場。バニーの黒服をまとったきれいな外国女性たち。そこで黒服を着てウエイターをした。そのころ流れていたのがクイーンの「地獄へ道づれ」である。映画の中でもクイーンがディスコの曲をつくる?と異色な楽曲と秘話が描かれているが、この曲が映画で流れたのと同時にそのころにタイムスリップした。


広島から出てきて数か月、大人びて見えたボクではあったが心はまだ純朴であった。先輩に言われるがままにぴかぴかにワイングラスを磨く技を習得したり、片手で何個ワイングラスを持てるか、トレイにどのくらい下げる皿を載せられるか、スマートな振る舞い、バイトをやめてからも役立ったなあと思っていたトングで皿から取り分ける技。クレームの処理の仕方からコートをお召しいただくコツ。そこでも一流のバイト人間を目指していた。都会を感じた。だからボクにとってのクイーンは東京でのサクセスストーリーの始まりの曲なのである。


六本木から日比谷線、東横線と乗り継いでいくうちにボクはばりばりの体育会の人間に変身していく。六本木の雑踏とはまったく縁のない人間だ。その頃は本気で水球でオリンピックの候補選手になれるんじゃないかと思っていた。練習に明け暮れた合宿所との往復をした。その練習が終わった夜中、週に1、2回バイトにいく。朝ちょっと寝てまた練習。めちゃくちゃだ。まさしく「地獄へ道づれ」だなと思った。


映画を見てぽろぽろと涙が伝ってくる。けれど、その過去の自分の地獄はけっしていやなものではない。ああ、あの頃はがむしゃらになにかをつかもうと頑張っていたと音楽を聴いて思うのだ。音楽の力だ。もう40年以上前のことがよみがえってくる。


そしてその真剣に取り組んできたことは、たとえその道が閉ざされたとしても無駄になることはないと信じている。


六本木のバイト時代からわずか1年ちょっとで肩の故障で水球をあきらめた。小学生の頃から憧れ信じてきた道が急に目の前からなくなって自暴自棄にもなったが、物書きという新しい道が開けた。


水球のお陰で入った大学が無関係のように見えてそのチャンスをもたらした。人が歩むのに過去の自分の歩みがチャンスを作る。やってきたことはむだではない。


そんなことをフレディ・マーキュリーを通して思い出した。もう1回ぐらい見たいと思っている。


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