2011年9月ボクは広島のテレビのロケも終わって東京に戻る飛行機の中でクモ膜下出血という病気を発病した。その夏の初め取材でやったPETの検査で癌は発見されず喜んではいたものの200近くの高血圧だということがわかり、「早く病院に行かねばならないね」そう妻と話していた。それに8月の末から仕事がかなり立て込んでいて四国に関西、広島に福岡・・・けっこう飛びまわっていた。


その日は台風が近づいていて飛行機も揺れるかもしれない、そう思って乗った。気が付いたときは、身体も動かず、顔すら動かない。ベッドの上に固定されているんだろうか?知らない天井がそこにはあった。身体はたくさんの管につながっていた。家族が「パパ」と心配そうに覗き込む。飛行機の中で倒れてから1ヶ月近くたっていた。


ボクは「こんなことをやっている場合じゃない、ほんとに忙しいのだ」そう思って立ち上がろうとするがまったく身動きもとれなくなっている。身体に力も入らない。見る見るうちに身体は溶けてしまったようにぬるぬるっと何もできない何も考えられない身体になっていった。


それからのことはあまりよく覚えていない。たまに録画したVTRを再生するみたいに記憶が蘇ってくることもあるがほとんどのことは覚えていない。それからのことはその場で自分の今を書き留めたことが記憶となっている。


それから1年、退院するとき大半のプロが施設に預けることを提案したそうだ。しかし家族は自宅に帰ってくることを選択した。金銭的なこともあったのかもしれない。けれど「家族が一緒にいるのは当たり前」そう思ってくれたそうだ。何もできない、食べることも寝返りもできないボクを家に帰してくれた。


妻も息子もまだ高校生だった娘もその日から介護という恐ろしく大変な作業をして毎日を過ごすことになる。けれど、ボクは家族が「大変だ」とか「もういやだ」そんなことを言っているのを一度も聞いたことがない。当事者の前だから?いや、そうでもなさそうである。やってもらっているボクが「もしかしたらそう思っているんじゃないか?」って感じたことがないからだ。


身体が不自由になって心が敏感になった。臆病になったのかもしれない。相手の気持ちを恐ろしく深く考えてしまう。ヘルパーさんの「ふっ」というため息にだって自分のことでないかもしれないのに「ごめん」そう思ってしまうこともある。けれど家族のボクに対する行いは心地よい。安心していられる。いまはこうして書くことができるまでになった。


けれど、書いたことも忘れてしまうこともある。調子がいいときは覚えているが自分の書いた文章をはじめて読む文のようにおもうこともある。忘れてしまうということは最近はわかっているのでちょっと怖かったりする。それも解らなかったときは怖くも無かった、たぶん。

クモ膜下の先輩が「ぼくも記憶が曖昧な時期もあった。でも段々クリアになる時間がふえていった」そういって励ましてくれる。ボクの脳は頑張っている。壊れた部分を補うべく頑張ってくれているんだと思う。7年経ったいまの少しずつではあるけれどよくなっているような気がしている。これが勘違いではないとおもうのだけど・・・どうだろうか?


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