
ボクは多趣味であった。凝り性というのだろうか?
一番好きだったのは将棋。そして読書、食べること。次に麻雀、キャンプ、車が続く。若いころは、似合わないがウインドサーフィンなんていうのも凝った。
幼いころから今でもずっと続いているのは読書だろうか?物心ついたころから童話を読み聞かせしてもらっていつの間にか字も覚えた。幼稚園に行っているころにはイソップ物語やファーブル昆虫記を何回も読み返した。
我が家は本通りの一歩裏の八丁堀にあった。まだその頃の商店街の路地は商店のおじさんたちが縁台を出して将棋なんてしていた。だから、表に出てその将棋を観て将棋も覚えた。おじさんたち相手に将棋も真剣勝負だった。
商店街には古本屋さんもあってそこのお兄さんに「裕司はいつ来て本読んでもいいぞ」そういわれていたのでその古本屋さんで海外の美術書から地図、日本文学全集、それに子どもが見てはいけないような本まで読み漁った。
家は縫い子さんが何人かいる洋裁店を商っていてミシンの踏み台に入り込んではその頃まだ珍しかった洋書のボーグなんかのファッション誌を眺めて過ごした。
そこにはファッションはもとより海外の家の中の様子やきれいに整備された芝生の公園や庭、外車や食事、見たこともない風景が映し出されていた。
「ああ、大人って本を読んでいるからいろんなことを知っているんだな」そう幼心に思ったものだった。本を読んでいると知らないところにも行けたしもう生きていない人にも会えた。こんないすごいことはない。そう思っていた。
大人になった今でも色々な考えやばかばかしいおかしなことも本が教えてくれる。病気になる前は年間に200冊ぐらいは読んでいただろう。今は月に2冊読めればやっと。身体も頭も疲れてしまって残念ながらなかなか読めない。けれどベッドの周りには本を置いておかなければ気が休まらない。幼いころからの習性である。寝る前のちょっとの時間、移動のちょっとの時間、本がないと落ち着かない。
妻は自分には趣味が無いといって「パパは趣味があっていいね」そういう。けれど、無趣味と言う妻は、レストランにいって美味しいものを食べると家に帰って料理して再現してみて皆に振舞ったり、遠くの店においしいオデン種を買いに行ったり、取り寄せたり・・・それって趣味なんじゃないの?って思っている。好きなことをしているときの顔ってかっこいい。ボクの読書をしているときの顔はどうなんだろうか?