1月9日は成人の日だった。
はっきりいって15日が成人式って決まっていた時に較べて「ああ、今日って成人式なんだね」そんな感じだ。選挙権も18歳になってしまったし、20歳(成人式)が大人というくくりは薄れていように思える。成人式の存在感は薄れているように思える。
しかし、TVのニュースでは派手な格好をした新成人をこぞって紹介していた。
2歳のこどもが一人という20歳ママ。「今日でこういう生活は終わり。もう落ち着くの」そう話していたのは花魁の格好をした度派手な女性。
抱っこ紐で赤ちゃんを抱っこした金ぴかな羽織にはかま姿、髪もそびえ立つように高くセットされている男性は「この子が住みやすい日本にしたいです。親に感謝しています。」そういう。
見た目で人を判断してはいけないが、一見「まじめ」には見えない20歳たちがまじめな素晴らしいコメントをする。
見ていてジンと来てしまった。「立派なもんだ。」つくづくそう思う。自分が20歳の時を考えてもそんなに立派ではなかった。
成人式も終わって今日は若者の貧困というテーマでニュースが流れていた。20才前後の若者が奨学金を借りて大学に通ったり、学費は出してもらっているからアルバイトのお金で生活はしていると言う学生たち。「大学卒業したら頑張ってこれから働いていく」そういっていた。こちらは見かけも真面目(普通)そしてやっぱり真面目。昔から貧乏学生はいただろうが今の若者の姿からみると一見わからない。
成人を迎える若者に「責任を持つことで自由は与えられる」という教訓めいた言葉をはなむけに考えてもいたが、とっくにそれを実践している人ばかりが画面から紹介されているではないか。
20歳前後の年頃の人を見ていると甘酸っぱいなんともいえない気持ちになる。もう大人なのか、違うのか、未完成なアンバランス感がなんともいえない雰囲気をかもし出す。そんな人たちが数年後には日本を担っていく。
毎年、成人の日のニュースをみると新しい日本が見えるような気がする。