11月11日は「介護の日」だ。介護と一口でいうけれど、介護している側とされている側、それぞれ思いやる気持ちはあるに決まっている。
つい最近、妻が知っている介護施設の施設長がこんなことを話していたと教えてくれた。
その施設長はまだ若い。もしかしたら息子ぐらいの年かもしれないそうだ。
その彼が「介護の現場にはたくさんの問題がある。介護する人々(ヘルパー)の色々な問題をどう解決するか、それも大切なことです。それがよい介護につながるから。けれどまずは、入居者さん(介護される人)のことを考え、それに一番時間を割いていきたい。そうできるように早くなりたい。そう思っているのです」と話していたそうだ。当たり前のことに聞こえるけれど、それができることはすごいことだとボクも思う。
本当に気持ちのある人に感じたんだそう。妻が珍しく熱をこめて話しているので聞き入ってしまったし、ちょっと笑ってしまった。あまりの熱弁に。
「ああいうリーダーがいる施設は良い介護ができる施設になるね」と言うのだ。
介護の現場は常に人が足りないし、様々な問題を抱えているに違いない。働いている人も給料も少ないし楽な仕事ではない。無理な労働では不平不満も出てくる。その若きリーダーにお会いしたことも無いし、施設を拝見したこともないのでその施設のことはわからないが、ボクは仕事柄色々な施設をみたり体験したりすることがある。
そういうリーダーが自分の気持ちをすべての働く人々にも生の声で伝えているところは大抵感じがいい。「この施設をこういう施設にしたい」。そういう目標が明確な施設はなんだか、ゆとりがあるように思える。リーダーの下一致団結するからだと思う。
介護している人たちがギスギスしているのでは、介護される側はたまったもんじゃないからね。
一方、介護される側はいつも「ありがとうね」そんな気持ちでいられれば一番いいのだが、実際はそうも行かない。身体が思うようにいかないというのが想像以上のストレスだ。ましては自分が一番だという方法でないやり方でことが運ぶことのほうが多い。もちろん色々考えてくれていることはわかっている。けれど存在が無視されているようで悲しいのだ。「きっとあのおじいさんも今そうなんだろうな」といつも遠目で人間観察を行なっている。
そこでも「説明」というコミュニケーションがあればもっと円滑なんだろうになあと、思ってしまう。介護は人と人。話せなかったり寝たきりだったりするかもしれないけどやっぱり話す事が大切。
介護施設の働く人同士も介護される人としてくれる人も、まずは人と人。話す事が大切なんだと思いませんか?