吐血して救急車で運ばれ入院となってしまった。検査検査の毎日で吐血とはまったく違う病気まで見つかってしまった。不幸中の幸いってものだ。
そんなわけで今回は思いのほか長い入院になった。
入院しているのは初めてお世話になる大学病院。救急車で運ばれてしまったからなじみの?病院ではない。初めて会う担当医に初めてお世話になる看護師さん。当たり前のことだ。しかしだ、考えてみれば不思議なこと。ボクの病歴も何も知らない人たちが新しく発見した病気とはいえ、どんどん治療を始めていく。以前からの病気には影響ないものだろうか?素人のボクたちは不安でならない。入院に当たって今までの病歴、手術歴、飲んでいる薬などは伝えたものの大病をしてまだまだ身体が戻っていないボクとしてはそちらに影響あるのではないか?よくわからないので不安でならない。
とはいえ、なんの問題も無く治療は行なわれていく。これまた当たり前の話だ。プロ中のプロが同じような症例を何百とやっているのだろう。
心配しているのは初めてその病気になった患者と、初めての家族のほうだ。そこにいる患者のほとんどが、その病気初心者で不安を抱えているであろう。こんなに心細いことは無い。不安はないか説明は十分か?病院側はそう聞いてはくれるし説明もしてくれる。図解もしてくれる。けれど、自分の中では消化できずにこんなものなのかなあ?とわかったようなわからないようなで進んでいく。
カーテンの向こう側にも、同じような病気の患者さんが、同じような不安を家族と話している。
「こんな病気になるなんて!」「セカンドオピニオンどうやるんだろう?」「本当に大丈夫なんだろうか?」「本当は自分はもっと悪い病気なんじゃないか?」家族の内緒話が聞こえてくる。小さい声で家族は話すが、自分の運命に対応できず、とりあえず機嫌を悪くするお父さんや、返事をしないおじいさん。人生のドラマが見え隠れする。
退院間近の患者さんのベッドからは笑い声が聞こえてくる。「治ってよかったね」「どうなることかと思った」「早く家に帰りたいよ」そんな声が聞こえてきて良かったなあと他人事ながら思う。
そんなにぎやかなところには大きな咳払いで無言の抗議を受けたりする。これからの人、終わった人が混在しているのだ。手術前、手術後で病室わけてもいいかもなあと思ってみたり、本当にいろいろなことを見たり聞いたりして勉強になった。いつもの自分とは別の自分だ。ピリピリもするし怖くもある。痛かったり、第一具合も悪いのだ。どうしたらいちばん良いのだろうかとベッドの上で横たわっている。