今回のリオでのオリンピックは日本最多のメダルを獲得した。金12個、銀8個、銅21個。たいしたもんじゃないか。そう思う。日本は1912年の第5回ストックホルム大会から参加したがそのときのメダルは0。次のベルリン大会は中止。
その次のアントワープ大会で銀を2個とった。それ以来参加している年は必ずメダルをいただいている。
200余りの国が参加しているオリンピック。もちろん1個もメダルをとれない国もその数の半分以上はある計算だ。参加することに意義があるのだから国の代表として戦って終わる。
「すみません、金で無くて」そういって謝る選手が目に付く。そんな選手の言葉を聴いて一般の方は「頑張ったんだからいいんじゃないですか?」そうみんないう。そういったって『世界で2位だよ、世界で二番目にすごいんだよ」そんな感想を聞けて日本は本当にいい国だなあって思う。
本人からしてみれば「2位が取れるんならば1位だって手中にあったはず。だから悔しいんだ。」それもわかる。アスリートなんだからそれぐらいの負けず嫌いじゃなきゃネっとも思う。そのぐらいの根性が無ければメダルには届かないだろう。ボクもオリンピックを目指してスポーツを頑張っていた時代があったからその気持ちは痛いほどわかる。大会で2位以内にならなければ県大会にはいけない。
国体にも県で1位にならなければいけない。2位ではだめなのだ。インターハイもしかり。そういう過酷な試合をずっとやっているんだからその金と銀の差は大変なものだという気持ちが痛いほどわかる。メンバーに入れるか、入れないかもその順位による。あまりにも結果がものをいわせる厳しい世界なんだ。しかもオリンピックともなると国を背負ったり、そのスポーツ界を背負ったり、背負うものもズシンと重い。それが良いか悪いかは別の問題だとしても自分だけの挑戦ではなくなってしまう。そんなことを今回のオリンピックではよく考えた。自分の選手時代を思い起こした。
入院していたボクはあっという間に体力が奪われた。食欲も無くなっていた。
普段寝たきりのボクだって家にいればトイレにだって行くしリハビリで歩くことだってある。けれど入院中はベッドの上にいる。みるみるうちに足も細くなって健常な右足でも踏ん張ることさえできなくなった。オリンピックを見て「ボクもこんな筋肉を持っていたはずなんだけどなあ」と水球を真剣にやっていた頃の栄光を思い出す。家に帰ってきてからは、ペタルエクスサイザーという自転車漕ぎみたいなトレーニング機器をこぎながらオリンピックを見る。5分もしないうちに疲れて漕げない。それでもあと1分、後1分といってがんばる。麻痺している左足をペタルにくくりつけてもらって漕ぐ。ボクもオリンピックの選手にでもなった気持ちになってくる。昔のトレーニングを思い出してこれしきのことでへこたれてはいられないと漕ぐ。「4年後パラリンピックの選手も夢じゃないぞ」と奮い立たせて漕いでいる。