病気になるということは、心身ともに弱ってしまう。それは、自然なことだ。
ボクは、気が付いたらベッドの上にいて身体が動かなくなっていた。
正確には右半身は動くのだけど、いったいどうやったら身体が動いてくれるの判らなくなっている。
壊れたロボットのようなものだ。
どうしてこうしているのかもよくわからなかった。

最近では家族の話や友人の話で、自分の置かれた状況が少しずつだけど飲み込めてきた。
わからないことだらけだ。
記憶も曖昧だけれど、ふっとよぎる光景が家族の笑い声だったり、友だちの酔っ払ってる楽しげな顔だったりする。
もちろんボクが病気になってからの光景だ。

家族ももちろん自分も置かれた立場を考えたらけっこうきつい。
笑えない状況だったりする。けれど、なぜだか今は暗さはない。
そりゃあ、倒れた直後は「これからどうしよう」と怖がりの妻は震えたかもしれないし、まじめな息子はキリキリもしただろう。
だけどそんな光景は出てこない。
きっと家族は今のボクをそのまま受け入れてくれたのだろう。
かなりなポジティブな家族たちだ。だからボクも居心地がいい。自然なのだ。

そう、ボクは病気になって「この人っていまどう思ってるんだろう?」と考えることが多くなった。
ボクがひとりで何もできなくなってしまったから、ちょっとばかり気を使うようになったのかもしれない。
しゃべれないボクを「なにもわかっていない人」と敬語を使ってはいてもぞんざいに接する人。
逆に訪ねてきて「今こんなことをしてるんだ、今こういうことが流行っていて」と一方的に話して帰っていく知人が心底愛にあふれてみえたりする。
当たり前のことだが、薄っぺらな同情が一番苦手だ。
それさえもうけいれる心の広さは今しばらくの修行が必要かもしれない。
そうなりたいとは思っているけれど。

幸いにも、もう4年以上、病気になったボクと付き合ってくれている仲間や家族は笑って接してくれる。
ボクも家族が笑う顔がみたくて頑張る。一生懸命頑張るのだ。


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