今朝のニュースで「付き添い入院」が取り上げられていた。
小児病棟で子どもが入院する際、保護者が24時間体制で付き添う… それは日本では決して珍しい光景ではない。
けれど、あらためて実態を知ると、胸がざわつく。小さな子ども用のベッドに無理に身体を丸めて添い寝する母親。
簡易ベッドがない病室もある。食事の提供はなく、売店に行く時間もない。シャワーを浴びる余裕もない。点滴のアラーム、夜泣き、検温。眠れない夜が続く。それでも「母親だから」「親だから」と、当然のようにそこにいる。
そういった行政を担うのは、こども家庭庁。こうした付き添い入院の実態について調査を進め環境改善を検討している。
医療現場の人手不足や病院の構造上の問題が背景にあり、保護者の付き添いが習慣として続いてきた現実がある。
報道によれば、付き添いを求める医療機関は約4割にのぼるという。一方で自治体による補助制度や支援策は十分に活用されていない地域も少なくない。なぜか。制度があっても、情報が届いていない。病院側が制度を案内していない。
申請もしていない。財源が限られている。理由はいくつもあるのだろう。けれど、現場で起きていることは、もっと単純だ。「親の体力と善意に頼っている」という構造である。こどものためなら最大のことをしたい。
わが家にも、忘れられない記憶がある。孫が入院したときのことだ。小さな身体に点滴が刺さり、見慣れない病室で不安そうな目をしていた。
ママは一日中ベッドに付き添い、夜もそのまま添い寝。パパだって交代で会社を休み2人で付き添う。食事は出ない。売店に行く時間もない。シャワーを浴びる余裕なんてまったくない。
妻(おばあちゃん)が、ほんの少し交代した。
「ちょっと外の空気を吸っておいで」そう言っても、母親はなかなか離れられない。
もし、親が付き添わなければ、子どもの入院生活がうまく回らないのだとしたら。せめて、付き添う親に一食でも食事を出してあげる。横になれるスペースを用意する。シャワーを使える時間を確保する。
それくらいの配慮は、社会として当然ではないかと、妻がぽつりと言った。その言葉が、ニュースと重なった。
付き添いは「愛情」だ。だけど制度は愛情に甘えてはいけない。とはいえ医療の現場は思った以上に緊迫している。
看護師さんたちは本当に大変だ。それは重々わかっている。
だからこそ、親の愛情の労働を放置するのではなく、制度として支える視点が必要だ。こども家庭庁は、付き添い環境の実態把握とともに、病院設備の整備支援や自治体との連携強化を進める方向だとされる。今後、ガイドラインの整備や財政支援が進めば、少しずつ変わるのかもしれない。が、現実はまだ途上だ。
子どもが病気になるだけで、親は十分に心がすり減る。そこに、睡眠不足と栄養不足が重なれば、倒れてしまう。親が倒れたら、子どもはもっと不安になる。医療とは、患者だけを診るものではない。家族ごと支えるものだと、ボクは思う。
ボク自身、病気で倒れたとき、家族がどれだけ消耗したかを知っている。支える人を支える仕組みがなければ、医療は不完全だと思う。
医療も付き添い入院も、決して特殊な話ではない。どの家庭にも起こりうる現実だ。
「親なんだから当たり前」その一言で片づけてしまう社会から、一歩先へ。
「付き添い入院」のニュースは、その入り口に立っている気がした。孫の小さな手を握りながら眠れぬ夜を過ごした、あの母親たちが、せめて温かいご飯を食べられる社会であってほしい。それは贅沢ではない。人としての、最低限の尊厳の話だと思う。
RCCコラム