12月3日・4日、愛知県の Aichi Sky Expo (愛知県国際展示場)で矢沢永吉さんのコンサートが行われた。
開場15時半、開演はちょうど17時。東京からも日帰りしやすい時間設定で、最寄りの中部国際空港セントレアから徒歩でアクセスできる立地も、旅慣れた大人のファンには実に都合がよさそうだった。大人なコンサートだ。
えーちゃんのライブに、ボクはこれまで一度も縁がなかった。接点という接点は皆無。ただテレビから流れてくるCMのあの声だけは、なぜあんなに胸に響くのだろうと思っていた。張り上げるでもなく、抑え込むでもなく、力ではなく余韻で引き込む声。年齢を重ねるほど、あの歌い方には深い説得力がある。
唯一といっていい共通点は、広島出身ということだ。ボクが若い頃の広島では、えーちゃんの人気はただの“歌手”の域をはるかに超えていた。路地裏の喫茶店でも、車のラジオからでも、あのギターリフがよく流れていた。友だちは「いつかステージで叫びたい」と口にし、別の友だちは胸を張って「俺は青山の永ちゃん世代だ」と言い切った。そんな空気が当たり前のようにあった。
会場の外まで届いていたというざわめきは、もうひとつのパフォーマンスのようだった。
「永ちゃんではないか」と思えるほど白いスーツをまとった男女がわんさか歩いている。
途中で着替えるのだろう、永ちゃんが舞台で着ていたドレスシャツの同じ柄を袋から覗かせている人もいた。あれは“衣装”というより、“覚悟”なのだろう。ファン同士が目で合図して笑い合う。あの空気だけでも、すでにひとつの物語になっていた。もちろん永ちゃんといえば肩からかけたバスタオル。
そんな光景を思い出すたび、ボクは広島市内で見た若者たちの姿を思い返す。音楽は聴くだけではない。着飾り、歩き、そして集うことで文化になるのだと、当時の誰かが教えてくれた気がする。
開演時間が近づくころには、空気は澄み、冬の匂いが深くなる。
外に出てきた人々の足取りがどこか軽い。目元に涙を浮かべている人もいる。ファンの方々が待ち望んでいたコンサートだということがわかる。
なにかを一つ成し遂げる方の力は涙が出るほど美しいし、心を動かす力があると感じた。
このボクよりも歳を重ねているはずの彼が歌う声がなんの遜色もなく体も鍛えているのであろう、見えない努力もあるはずだ。素晴らしい、それだけでも涙が出てくる。
それぞれの人生のどこかに、矢沢永吉さんの曲を置いてきたのだと思う。
テレビ越しにほんの少し聞いただけのフレーズでも、何十年もの歳月を経て心を震わせる。音楽は距離を問わない。広いホールのスタンド席でも、テレビの前でも、台所でも、心の中の一点に火を灯す。そういう存在なのだ。
人生のどこかで“まだ行っていない場所”が、かえって大きく見えることがある。
ボクにとってのえーちゃんのライブは、まさにそういう存在だ。風景だけが心の中で大きな絵として残っていく。会場へ向かう人々の背中、17時の光、さざめくざわめき。全てが目に浮かぶ。
RCCコラム