他局なので詳しくは書かないが、「介護スナック」を題材にしている連続ドラマを見た。なんとも妙味のある組み合わせだと思いながら観た。
そもそもスナックは、昭和生まれの人間にはききなじみのある飲み屋さんの名称だ。常連がいて、ママがいて、ちょっと愚痴って、歌って、泣いて、飲む。
「あと何年、ここに来られるかなあ」と思ってるうちに歳を取って、気づいたら“介護” という言葉と隣り合わせになる。そんなイメージだ。

そのスナックに「VR」が入ってきた。リアルとバーチャル、その境目が薄れてきた。
今回観た「介護スナック」の中でも特に興味深かったのは、思い出の地に“もう一度行く” くだりだ。仮想現実、つまりVRの世界で、年老いた人が再び旅をする。
「足が動かないから旅行は無理」なんて時代、もうとっくに終わってるのかもしれないと思っている。
で、技術協力で出ていたのが、ぼくもよく知る登嶋健太さんだった。ああ、やっぱり、と膝を打った。彼はもうずっと前から、介護とVRの橋渡しをやっている。
ドラマにも出演までしていたが映っても華はある男、こういう現場にはしっくりくる。

思い出を再現するVRの使い方は、ここ数年ずっと僕も注目している。宮古島にもスペインにも色んな街角に立って、若い頃に歩いた横丁を見まわす。
VRはリハビリにも良い効果が現れる。

でも、今回のドラマで刺さったのは、それだけじゃない。もっと根源的なことがある。それは「食べ物」だ。

登場人物が、遠い国の風景を思い出すきっかけになっていたのも、出征前に食べたコロッケや、食べ物だった。
シンプルな家庭料理だったり、異国の甘い香りだったり。「ああ、あの味だ」と目を細める姿には、旅以上に人生の景色が詰まっていた。やっぱり人間の記憶ってやつは、舌にも住んでいるんだよな。

ぼくは前から何度も言っている。VRで“食べる体験” を作ってくれと。単にパフェの3D映像を見せろって話じゃない。切ったり、混ぜたり、焼いたり。料理でつくるプロセスも含めた「食の記憶」の再現だ。
そしたら匂いだって思い出す。不思議だね、人間の記憶って。匂いと味が呼び水になって、忘れたと思っていた景色が一気に戻ってくる。
今回のドラマを観て、ああ、やっぱり“食べるVR” を作るべきなんだって背中を押された気がした。

旅に出られなくても、料理の香りと湯気はいつだって心を旅に連れて行く。身体は動かなくなっても、味覚は最後まで元気なんだと、しみじみ思う。
寝たきりの人に「もう一度、ローマで食べたジェラートの味が恋しい」なんて言われたとき、それを叶えられる技術って、ただの娯楽じゃない。人生の扉をもう一枚開く力がある。

VRは、風景を見せるだけの道具じゃ足りない。料理を作れて、匂いを感じられて、食べた気になれる。そんな未来の“台所” だって夢じゃない。いや、夢なんかじゃだめなんだ。
現実にしなくちゃいけない。
技術はあるんだから。介護の現場は、どうしたって“できなくなること” に向き合う場所だ。
でも、できないことを減らすのではなくて、“できたつもり” にしてあげることも立派な介護だと思う。
VRで旅をして、昔の味に泣いて笑って、それでちょっと調子が良くなるのなら、もうそれで100点じゃないか。

「介護スナック」という発想には、そんな“心の居場所” としての希望が詰まっていた。ママがいて、常連がいて、そこに最新技術のVRがしれっと座っている。
ドラマはフィクションだけど、考えてみれば、現実の方こそもっとドラマチックじゃないか。
あのスナックのカウンターの上には、未来の台所と、過去の思い出が並んでいた。あとは、味わうための勇気だけだ。


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