ボクはいま68歳。病気で半身麻痺になり、歩くことも喋ることもままならない。そんな自分を「老いの見本市」のように思うこともある。人より先に老いを経験したような、そんな気もしていた。心はまだ60代なのに体だけずいぶん老いてしまったべつもののような。けれど、ふと周りを見渡すと、70代、80代、90代の人たちが、それぞれ違う形で「老い」を生きている。良いところも、厳しいところも。人間って、ほんとに多様だ。
まず70代の知人。まだ背筋はしゃんとして、趣味のゴルフや旅行にも出かけている。ボクより10歳上なのに、歩き方に軽やかさがある。老いを「楽しむ余裕」をまとっているようだ。だけど、時折ぽつりと「病院の薬が増えてさ」と笑う顔には、見えない苦労もにじむ。
体はまだ動くが、検査数値や血圧の数字に縛られる日々。70代は「まだいける」と「もうやめとくか」の綱引きの年代らしい。
80代の叔母は、もっとリアルだ。去年、夫を亡くし、一人暮らしの寂しさを隠せない。
それでも電話口ではやたらと元気な声を出す。強がりなのはわかっている。でも、その強がりがあるからこそ、まだ一人で暮らせているのだろう。80代は「孤独」と「自立」のせめぎ合いの時期。いまは入院中。めっきり弱気になってしまった
ボク自身は68歳。70代目前で「もう老いは十分経験した」と思いがちだが、まだその先に長い道がある。70代の「まだやれる」顔。80代の「まだ自分で」という意地。90代のあたたかさ。それぞれに良さと苦しさがある。その全部を見渡していると、老いは一本の線じゃなく、ゆるやかな階段のように見えてくる。
歩けなくても、喋れなくても、ボクはまだ68歳。これから先、どんな段差を踏み外すかはわからない。でも、見てきた人たちのおかげで老いの悪い面も受け入れるし、良い面も拾っていく。どうせ逃げられないのなら、老いを「観察」しながら生きていこう。そう思えば、少しは面白くなる。
RCCコラム