身体が要介護5になってから、海というのはずっと遠い存在になってしまった。昔は水球選手だったから、海もプールも、水は自分の身体そのもののように思っていた。水の中で動けない自分なんて想像したこともなかった。でも現実は、病気で車椅子になったその日から、海は「憧れ」と「悔しさ」が混ざりあった景色に変わった。
けれども、人の縁と工夫次第で、また海に出会えることを知った。最近、車椅子で世界一周をした三代くんのイベントに参加したときのことだ。そこで少しだけ海に浸かる体験をさせてもらった。波打ち際のほんの数分だったけど、足にあたる水の冷たさが、まるで昔の自分を呼び戻してくれたようで、涙が出そうになった。

さらに逗子海岸でのユニバーサルデザインのイベントでは、驚きの連続だった。砂浜用の車椅子に乗り換えて海に入れば、自由に動ける。しかもサーフボードにまで挑戦できた。水球のボールを追いかけていた頃とは違うけれど、波の上に浮かんだ瞬間、「ああ、水の上に帰ってきたな」と胸が熱くなった。支えてくれる人の存在、逗子のスタッフの心意気。これはただのサービスではなく、海を「みんなのもの」にしようという真剣な気持ちだと伝わってきた。バリアフリーという言葉の重みを、この時ばかりは心からありがたいと感じた。

でも今回の体験は、そうした“整えられた舞台” ではなかった。まったくバリアフリー化されていない、普通の海。宮古島の新城海岸。観光客が思い思いにシュノーケルをつけて泳ぎ、砂浜では子どもたちが砂遊びをしている、ごく当たり前のビーチだ。そこに車椅子の自分が行くなんて、正直無理だと思っていた。

ところが「声をかけてくれればお手伝いしますよ」と、海の家の方々が笑顔で言ってくれたのだ。その一言がどれほど心強かったことか。スタッフでもなければ、制度でもない。ただ目の前の人間として、困っていそうなら手を差し伸べますよ、という自然な言葉。その優しさが、バリアフリーのどんな最新機材よりも自分を動かした。

彼らに助けられて海へ入る。水に浮かぶと、昔と同じ感覚が戻ってくる。息を整え、力を抜けば、身体はぷかぷかと浮かぶ。見上げれば真っ青な空。耳に入るのは波の音だけ。ふと顔を海の中につけると、目の前を亀が泳いでいった。海は変わっていない。変わったのは自分の身体だけだ。でも、その自分を受け入れた上で、海はやっぱり迎えてくれるのだと思った。



「好きなだけ浮いていていいんですよ」そう言われて、ただ海の上で漂った。車椅子になってからは、いつも「制限」や「時間」を気にしていた。何分まで、どこまで、と線を引かれて生きてきた。でもこのときはちがった。ただただ、海に身をゆだねていられた。

設備が整った逗子の海で感じた安心もすばらしい。でも、人の心だけで成り立つ宮古島の体験は、それ以上にうれしかった。制度や器具はもちろん必要だ。けれども、本当に人を自由にするのは、結局「やってみましょうか」という一言と、差し伸べられる両手なのかもしれない。
でも、そこに手を貸してくれる誰かがいる限り、また近づける。そう思うと、次の海への旅がすでに楽しみになっていた。
バリアフリーとは、やっぱり人の心そのものなんだな。

今回は事前に準備されたバリアフリーな行程でもなく、行ってから、海の家GLAMさん(@glam_miyakojima) と、SUP (スタンドアップパドルボード) やカヤックを利用させていただいたSmile Sup miyakojima (@smile_sup_miyakojima) さんなどの皆さんにお願いしてみました。快く快諾してくださいました。皆さんに感謝してもしきれません。


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