7月21日海の日、湘南の海に出向いた。家からわずか1時間。こんな近い場所にこんなところがあるのをすっかり忘れていた。
「神足さん、まだ砂浜にいます?」「神足さんシャワー浴びてきますか?」
初めて会った方々なのに全てのスタッフが名前を把握している様子。
名前をちゃんと呼ばれるって、こんなにうれしいものだったか。名前、って、存在そのものだったんだなあと、砂浜でちょっとだけ泣きそうになった。
7月の葉山の一色海岸。空は青く、風はぬるく、かつて通ってた湘南の香りがほんのり残っている。でも、昔のボクは自力で波打ち際まで走っていけた。今のボクは、車椅子で道をつけてもらって波のところまで行く。
でもね、この「道」がすごかった。ただのマットとあなどるなかれ。このマットがあるだけで、砂の浜がぐんと近くなる。車椅子でも、ベビーカーでも、スルスルと浜へ降りられるようになる。ボクらのために、みんなのために敷いてくれた道だ。
この日は「とてもナミニケーションズ2025」というイベント。「とってもビーチプロジェクト」と、あったかい集団のとにかく“誰にとっても、とってもいい一日を” がテーマだ。で、そのテーマが、ホントだった。マットを通って海へ。専用のビーチ車椅子でプカプカ浮かぶ...まではまあよくある。でも今回はその先が違った。サーフボードに横たわって、波に乗る。サーフィンだ。体が動かないボクが横になったまんまの波乗り。
これが、すごい。体が動かなくても、波ってちゃんと伝わるんだなあ。全身で波を聞く。目を閉じて、浮き上がるようなあの感覚。サーファーたちが「波を待つのがたまらない」って言う意味、ちょっとだけ理解できた。言葉じゃないところで、自然と体が会話してる。いや、正確にはスタッフ10人くらいが全力でボクを波に乗せてくれてるんだけど、その「気持ち」ごと、波に届いている感じ。
そのうえで、なんとこの設備たち― マットやら椅子やら...は、地元の星町議さんって人が町長にかけあって、助成してもらったっていう。こういうことがちゃんと通じる町って、あるんだな。行政と民間の熱意がつながると、海にまで届くんだな。海は、聞いてくれてる。
でも、一番心に残ったのは、名前を呼んでもらえたこと。スタッフのみなさんが「神足さん」って、ちゃんと目を見て声をかけてくれる。それがどれだけうれしいか。誰に対しても同じように、声をかける。優しさって、きっと手間じゃなくて、視線のことなんだ。声のことなんだ。存在のことなんだ。
波がボクを抱きかかえる。スタッフがボクを笑顔で見送る。そして、ボクは笑っていたと思う。全身で。存在まるごとで。
今も波の音が残ってる。ボードを伝って。
RCCコラム