もしも明日が最後だったら何がしたい?何を食べたい?そんな話をしたことがありますか?
「そだなあ、めちゃくちゃうまいあそこのステーキか?」「いや銀座の1度は食べてみたいと思っていた有名な寿司屋の寿司か?」夢は膨らむ。
想像だからどんなものでも提案できるし、何がしたいか聞かれたって「まだ行ったことがないマチュピチュにウユニ塩湖にどこでもドアで行くとか?」そんな今までできなかったしたかったことを話すんだろうか?
「いやいや、家のいつも食べているご飯がいいかなあ。炊き立てのご飯と味噌汁、焼きしゃけかなんか?」やっぱりふつーが一番だよなの一言で落ち着く。
ボクは、12年前にくも膜下出血になってしゃべれなくなったし、半身麻痺にもなった。その前の生活がどんなに平和だったかたまにだけど考える。
「神足さん旅の企画があります。車椅子の方でも最上の旅ができるように企画しますんで」そう言われて、「いや、昔のように誰でもできるようなフツーの旅がいいんだよ。高級じゃなくていい、フツーの旅がしたいんだよね」相手は?がたくさん並ぶ。
ボクのいっている意味はなかなか通じない。だって今の体ではふつーと言ったってお手伝いが必要だったり、色々バリアフリーの施設だったり、少し金額が張っても仕方ないですよ。そうおっしゃる。
そうなんだけどね… ボクはふつーがいいわけよ。それの方がもしかしたら大変なのかな、周りは。
普通っていうのがなんと贅沢なのかとつくづく思う。
大体普通というのがどことどこを比べてどう普通なのか人によっても価値観も違う。ボクの普通はあなたの普通ではないかもしれない。普通の生活をして、普通の旅をたまにして、普通の人生を送りたい。なんて贅沢な話だろうか。