最近よく旅に出ます。ほんと色んな人と。
家族だったら最高90歳の義両親やら孫の2歳まで20代30代と僕ら60代夫婦。そんな年齢幅がある人が一緒に行く旅は誰もが満足のいくように組むのはなかなか大変だ。
みんなが楽しかったねと言える旅にするには努力がいる。
仕事では、若い30代ぐらいの人とご一緒することが多い。
プライベートでは、年に数回アクティブシニアの女性たちとよく沖縄の旅をする。60代の僕らが一番若くって70代80代の元気な皆さま。元気だけど、まあ世間的には高齢者だ。
高齢者と車椅子のボクの旅。しかも共通の興味はVR360度カメラでの撮影だったりする。そのカメラで夜空を撮りたいとか、海の中を撮りたいとか興味は止まるところを知らない。
合宿と称して美味しいものを食べ、綺麗な場所に行って撮影する。スケジュールに無理は禁物、暗黙のルールだ。ちょっと険しい道になれば「ボク待ってる、私もここにいる」なんて現地に行ったってその先の道のりは自由参加だ。ボクはここまでだよって自由を選べる人との信頼関係で成り立っている。
その緩さがちょうどいい。変に気を使ったりしない。歳を取ったりの旅があるんだなあと最近実感している。若い時とはちょっと違う。
しかしだ、ボクは車椅子になって「車椅子の方の旅行ツアーはこちら」、なんていうパンフレットを見るたび「割高だよなあ」と思うことしばしばあり、車椅子でも今までと変わらない旅ができないものかと色々試してもがいてきた。LCCの格安飛行機でも旅をしてみたりフルサービスのANAやJALとどう違うのかなんて実際乗ってみて実験もした。まあ、その実験はボク自体も体力を使っての大変さもあるけど介助してくれている人の負担がどうかってことだ。安い料金で旅に行くのだからそれなりの省かれているものもある。
それで普通に旅ができなくてはいけないと思っている。

今回はそのハード側の話ではなくて使う僕らの話だ。「合理的配慮」って聞いたことがあるだろうか?「障害を理由として差別をしてはいけない」という聞くとごく当たり前のことを法律で定めた。内閣府のページに書かれている単純な内容として、店に入る時のスロープを用意する。筆談ができるホワイトボードを用意する。高いところに陳列されているものは取って渡すなど、これは最低限実行できそうなこと。よく店に行くと(よかれと思って)入ってすぐの入り口近くの席に案内されるが「あの奥の窓側がいい」なんてごく普通の人がリクエストすることであればもちろんしてもいいわけだ。けれど今までぼくは日本ではその勇気がなかった。
今までだって知り合いの車椅子歴の長い知人は慣れたものでスマートにリクエストする。
昔ニュースでも話題になったことがあるけれど、車椅子の人が、二階の階段しかないレストランに予約なしで行って人手がないと断られたという話。「車椅子の人だって当然の権利だ」という人がいる一方「車椅子の人じゃなくたってイレギュラーなお願いをするのは店の混み具合なんかで様子を見るんだし、車椅子だからっていいことと悪いことがある」そんなことで物議を醸したことがあった。日本で4月に始まったばかりのその法律はどもまで通用するのか?
海外へ旅にでれば本当に感じるのだが、特に欧米では障害者と健常の隔たりがない。日本の今回の「合理的配慮」的な法律が昔っから当たり前のようにできていてビーチにも車椅子で通れるというにマットが引いてあるのも当たり前。ヨットも車椅子対応になっていなければいけない。ウーバーだってバリアフリー専用車だって用意されている。日本のウーバーにもあるんだろうか?聞いたことがない。レストランでも「車椅子なんだけど」なんていう必要もなく人にあってもらわないといけない奥の席にだって通される。で、車椅子が通るときは自然にみんな立ち上がって道ができる。なんてことはない。自然な出来事だ。
話は戻ってLCC。格安だからサービスで省くところは省く。けれど、車椅子だからって困ったことはない。昔乗ったLCCは飛行機の中で使う車椅子は用意されていないからボクみたいに歩けない人は介助する人が座席まで抱いて行ってもらったこともあった。今はそんなことも無くなった。
車椅子で歩けないのだからなんか、お願いしなければ生きていけない。ぼくは妻や家族が車椅子を押してくれたり、介助してくれたりしているからあまり人にお願いすることはないけれど、それでも旅をしていれば知らない誰かにお願いしなければいけないこともある。今回の旅でも外を歩いていて段差で車椅子から落ちてしまった。花火後の公園で人混みの中、周りの人がわっと寄ってきてあっという間に車椅子に戻してくれた。何事もなかったかのように。「thank you」そういうを笑顔を返してくれる。どこまでお願いしていいんだろうか?いつも悩む。法律で決まったから人の意識がそんなに変わるのだろうか?
人と人。お願いして心からの「ありがとう」の気持ちが言えるシステムであってほしい。
