この数ヶ月、車椅子で旅が続く。
最初は、台湾の旅となった。いつものメンバーとはちょっと違った同行してくれる知人たち。
目的も、日本と台湾の合同制作のお芝居を見に行くというちょっと変わった旅だ。
車椅子を押すのも一苦労。重い電動車椅子をタクシーに乗せるのなんて慣れていない人たちにとっては重労働だ。
「またご一緒しましょう」そう言ってくれるだろうか?ほんとに申し訳なくも有難い旅だ。
「日本に比べて歩道から車道を渡る時段差が全くなくてバリアフリー進んでますね」そう同行者が言った。
数年前に台湾に来た時より、より一層街の整備は進んだ。前来た時は、凸凹の歩道も無理矢理、車道に出るところは段差をなくしたんだろうなあといった急な斜面になっていた。
同じホテルに泊まったので同じ道を通ったがそんな歩道がスムーズな斜面に整備されている。全てとはいかないがそれは大きな道沿いだけでなく裏通りも整備され始めていた。
以前「日本の車道と歩道の境目のほんのちょっとの段差が車椅子に進むのに、ガツンとあたり大変だ」と思っていたことがあったのだが、何かの本で「あの段差がないと、目が見えづらい人にとって、白杖を使っている人にとって境目がわかりづらいんです、だからあの5センチぐらいの段差があるんです」と聞いて「ああそうだったのか!!!」と申し訳なく思った。
こっちを立てればあちらがが立たず。車椅子やベビーカーにとって割と天敵のあの段差はそういう意味があったのね、と納得した。
それから段差で上げれなくて苦労しても、理由があるんだって頑張れる。色々な形や作られたものには理由があるものだと学んだ。
しかし前にも書いたかもしれないが、子供が近くにいない人が考えたり、車椅子に乗った人と実際接したこともない人が設計したものはやはり何か変だ。頭の中だけで設計してもうまくいかない。
多目的トイレのドアの鍵にちょうど赤ちゃんの手が届くところに赤ちゃんチェアーが取り付けられたり、車椅子の導線も考えないところに洗面所があったり。それで、ユニバーサルデザインだって謳ってる施設はちょっとなあって思う。とにかく障がいっていうのは100人いれば100通り。全てが自分のためにうまく行くなんて思ってないが思いやりが感じられる街に出会うとやっぱり気持ちがいい。この街は、人も優しい。旅していて気持ちが豊かになる。