入院中は、なんと言ってもラジオに助けられた。
最近の病院のキャビネット(床頭台というらしい)には小さな冷蔵庫とテレビ、鍵付きの引き出しがついていて一枚のテレビカードで管理できるなんていうのが大部屋で人気らしい。確かに電子レンジぐらいの小さな冷蔵庫でもマイ冷蔵庫があるのは有難い。カードで、一日幾らかの金額を支払えば冷蔵庫に、支払わなければただの引き出しに変身だ。
そしてその床頭台からのびるアームに小型テレビが取り付けられていて、角度も前後左右下向き(寝てて便利)にも動く。ちょっとした体勢が辛い入院生活にほんの少しの光をさしてくれる。
最近のものはその人だけに聞こえる範囲のスピーカーにもなっているらしい。イヤホンは大部屋で必須だけれども、小さい音で大丈夫な人はそれでもいけるそうだ。
ボクも、部屋で過ごす時にはテレビが大抵つけてある。みていなくてもなんとなくつけてあることが多い。ニュースやワイドショー、ボクの小さな小さな社会への窓だ。自分で歩いて社会に参加することがめっきり減ってでも、ここはまだ開かれている。大谷くんの結婚相手だってテレビで顔までも知ることができる。
が、ちょっと疲れたなあと思って目を瞑るような時、ラジオの存在は大きい。
特にそんな素晴らしいキャビネットがある新築の大学病院に入院したって、自宅の夜眠れない日だって、ラジオがそばにいてくれる。リスナーの手紙を読む声、コーナーで地元のコーヒーショップの店長さんが取材されている声、キャスターがニュースを伝える声、緊張して出演する素人さんの声、お笑い芸人のコミカルな話、時には旅先の風景を伝える長閑な声、みんな目を瞑っていても風景が、光景が広がる。時には目の前にその人たちがいるような錯覚すらしてしまう。今原稿を書いていてボクがベッドに横たわってラジオを聴いている姿を思い起こすとちょっと涙でも出てきちゃうような、そんな有難いゆっくりとした時間の中に包まれていることを想像する。
ラジオっていいなあとボクが出演側の時も思っていた。リスナーとの距離も近い。一緒にいる感じがするのだ。もう11 年になる闘病生活の最初の時もラジオに助けられた。まだ、意識が戻らない時からRCCラジオやTBSラジオの馴染みの番組をかけていたそうだ。
「これを聴いて気がついてくれれば」そう思って。意識が戻ってからも一人で寂しいかもしれないからとラジオをつけて行ってくれた。懐かしい曲が流れてまだ、顔も動かせない、何もできないその頃口ずさんだそうだ。(そう見えたらしい)よく、ラジオの番組の冒頭で、「お仕事中の皆様、闘病中の皆様もおはようございます」なんていう文言で始まる番組もあるが本当にそういう人多いいんだろうなあと思います。