年末になるとやりたくなるのが、大掃除だ。毎年いつもちゃんとやっていれば大掃除なんて必要ないよなんて言っているが、どうやら日本に生まれると「新しい年を新たな気持ちで綺麗な部屋で過ごしたい」と思うらしい。
御多分に洩れず我が家もバタバタやり始める。今年は12月の声を聞かない前から各所を大掃除している妻。みなさんお家の5倍は荷物がある家と言って過言ではない。なので単に捨てる作業と言っても良い。我が家が子どもと4人家族で過ごしていた家に義母が同居し、義父も仕事を辞めて単身赴任を終えさらに同居した。で、ぼくが体を壊し、仕事部屋にあった本や資料を2階の寝室にあげ書斎はボクの介護部屋兼妻の寝る場所となった。
元書斎は自分の好きなイギリスの壁紙に誰も持ち上げられないほどの横幅180の重厚な机、Macや(当時は必要だった)FAXやプリンター、ぐるっと一周、本棚に囲まれていた。お気に入りのものに囲まれて隠れ家のような部屋だったと自負している。もちろんボクのことだから床にまで本が積み重なった歩くのもやっとの部屋だった。
洋服だってぼくはちょっと高価かもしれないがスーツも部屋着もお気に入りの一品を数着仕立てたり外国で買ったらそれだけでよかった。長く着るし大切にもする。それこそ穴があくまでつかうからコスパもよかったと思っている。気に入っていなければ着なくなるのだから買う時だって慎重だ。靴も然り。持ち物も然り。だから捨てるものなんて何にもないはずだった。妻とこの度の大掃除で「どうにかしたいよね」と話し合ったことがあった。
それが、この10年。家のベッドで寝ることは多くなって、今までと違う分野の洋服がボクのために用意される。伸縮性のあるジャージワイシャツだったり、ゴムウエストとのズボン。着やすいスポーツメーカーのジャージ類。すぐ洗える、汚れても良いもの。でも一応考えてくれてボクらしいもの。が、年末の大掃除になるとそのようなものが、ちょっと汚くなったしね、シミもついちゃったし…と捨てられていく。
今のボクにはちょうどいい洋服なのかもしれないが家族にもボクにも思い入れがない。同じジャージだって12、3年前に買ったジャージの上下は捨てることなく今でも使用している。ちょっとくたびれてきてはいるけれど。大切にしているからだ。昔はやった本で、「フランス人は10着しか服を持たない」っていう本があったけど、上質なカシミヤのアンサンブルと一着どこにでも行ける上質のワンピースとかそんな感じだったかな。家でもそのセーターは着ているしお出かけ着にもなる。結局いつも同じ服を着ていることになるがいい好きな服を着ているのだ。
そんなちょっと質素で贅沢ではないが上質な生活をしている話。ボクはフランスのそれとはちょっと違うけどお気に入りのものに囲まれて過ごす原点を大掃除に時妄想してしまった。こんなにいらないものが出るぐらいなら最初からいらなかったんじゃないかと反省する。
まあ、ボクに着替えがたくさん必要な生活だからそうなっているのは百も承知。けれど妻もボクも今のやり方はなんか変だなあと考えた大掃除だった。