某テレビ局の24時間テレビが行われた。このイベントで集まった募金総額は放送終了時で、2億2200万を上回った。賛否両論があることはわかっている。

御涙頂戴で見ているのも嫌だって知人も言っていたなあ。でも2億円の募金が集まる大イベントでそれが何かの役に立っているんならそれはそれでいいんじゃないかと、安易な考えかもしれないが思ってしまう。

原爆の日を「たったその日だけ大ごとに取り上げて」という意見もあるがその1日そのことを思い出してもらうことだってとても大切なことだ。

当事者でないとなかなか「そのこと」を考えるきっかけすら無いからだ。車椅子で本当に困る歩道の段差が目の見えない方には大変充当な道標だってことや、目や耳が不自由な方に声をかけていいのか、どうなのかなどなど考えたり理解する現場に出会うことがあるのか?

なんでも始めてみる、やってみることは大切。「そんなことしたって」とやる前から、やらないのに批判するのはちょっと違うと思う。「ゼロイチ」は本当にすごいことなのだ。
1(イチ)から悪いことがあれば修正していけばいい。

番組に出ていた6歳のインフルエンサーが「ボランティアをしたい、いつもは支えてもらっているから誰かの役に立ちたい」そう言って高齢者施設に紙芝居を見せに行く。

その子のYouTubeは見たことがあったが、6歳とは思えない語彙力で関西人のシャレの効いた会話をする。まあ、6歳にはない言葉使いのしゃべりで人気だ。大人顔負けだ。

その子の言葉に「はっ」とする。支えてもらっているから、自分も誰かの役に立ちたい。

いつも自分が「自分」というものであるために思っていることだ。自分も何かの役に立ちたい、社会の一員であることを自覚したい。体が丈夫だった時はあまり思わなかった感覚だ。自分が人間だってことを何かの役に立ちたいという基本的な感情は大袈裟でなく生きる原動力なんだと思っている。