最近何泊か家を離れる出張が続いている。ちょっと訳あって妻が同行できないことが続いたので、他の人に同行してもらうことがあった。
ボクにとってはかなり新しい試みだ。
もう発病して10年以上経っているので、妻とはツーといえばカー。痒いところにも手が届くと言っても過言ではない。顔の表情だけで、「トイレ?」目の動きだけで『あっち行きたいの?」なんかやって欲しいの合図もわかってくれる。まあ、たまには「そうじゃない」って何回も首を振ることにもなるのだけど、一番ボクの動きや考えをわかってくれる人である。
それを、他の人にお願いするってことはかなりの勇気だ。もちろんトイレの世話から車椅子を押すこと、それに、特殊な話としたら取材現場で動画をまわしてもらうこともある。ちょっと取材まがいなことにも首を突っ込んでもらわなければならないかも知れない。ボクの記憶の一部として。
一緒にも泊まってもらう。夜中にお世話になることが今までないがもしかしたらそうなる可能性もある。
そんな人がいるんだろうか??色々考えてももちろんそんなに都合の良い人が見つかるわけがない。そう思っていた。それが、すごい人から電話がかかってきたのだ。神様が見ていたみたいだ。
むかーしヘルパーさんとして働いていたと聞いていた男性。我が家には健康系の雑誌の取材でやってきたことがあった。それから結構ボクの仕事を手伝ってくれたりイベントに来てくれたり付き合いがあった。3、4年疎遠になっていた。記者としてどのぐらい働いていたかわからないが今は静岡の農家でアルバイトをしているという。小説を書いているそうだ。
余談であるが、最近知り合いが農家の収穫のアルバイトをしてるという話を何人からか聞いた。集中的に住み込みで働いて収穫が終われば休みがあるみたいな生活をしていると。他の収穫をするため地域を渡り歩くこともあれば、その農家の収穫に合わせて休みながらって働き方もあるそうだ。
ボクの知り合いは絵を描いていたり、他に自分のやりたいことがあってそれに向かってのアルバイトって人が多かったが、そんな働き方もあるんだなあと感心している。
その現在、静岡の仕事を終えた彼が電話をかけてきた。「久しぶりに会いたい」と。「いいよいいよ、飯でも食べに来て」と久々の再会で彼の今の生活が質素ではあるが充実していること、小説を書いていること、いつもボクの書いたものを読んでくれていたこと、結婚したことなど嬉しい報告もあった。そんな話の流れで、「海外を含めて泊まりの取材なんかがあるんだけど、肝心の頼れる妻がいけないんだ」と話すと「じゃ、ぼくでよければ行きますよ」そう言ってくれた。
お互いそんな簡単な話でないことは分かっていたけれど、まず都内の取材に同行してもらう。記者をやっていただけあってそれは今のところ問題ない。車椅子も大丈夫。妻と違うのは車は別の人にお願いすること。次は軽井沢の1泊の旅に同行してもらった。
お互いドキドキだったが何の問題もなく帰ってこれた。「これ、奥さん一人でやっていたんですか??大変ですな」そう彼は笑っていたけれど、彼も同行の仕事を気に入ってくれているみたい。
問題が、彼が季節労働者だということ。彼の収穫の仕事は始まってしまった。休みの日はいつでも行きますよ~と言い残して帰っていった。そんな話を若い友人の会合で話していたら、「私もいつでもどこでもついて行きますよ、頼ってください」という看護師の方と知り合った。「ほんとに?」「本当です、マジです」そう彼女は言っていた。今度お願いしてみようかなあと真剣に思っている。
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