娘が巣立った。ボクが、発症したのが、彼女が高校生2年の時。

ごくごく普通に生活していた我が家が最大の危機を迎えた時だ。入院費やそのほかそれにまつわる経費も莫大に出ていく。そして何よりボクはフリーで働く人間で、働かなければ多く見積もっても遅れて入るギャラも数ヶ月後にはなくなる。収入がなくなるだけでなく、住宅ローンに学費、生活していくためのお金。浪費家だったボクにはお金があるわけはないが、内緒で妻がためていた結構の額の預金もあっという間に底をつく。

そんな時代に受験をした彼女。予備校にも行かず頑張ってくれたという。通っていた高校の先生も最大のバックアップをしてくれた。毎日、問題のプリントを出してくれ、採点のしてくれ、わからなければ放課後、補習もしてくれた。そんな状態で大学受験をした。

何より彼女は頑張った。

そして希望の大学に合格したのだ。彼女は幼い頃ボクの仕事で行ったパリの田舎のシャトーホテルに泊まったとき、「私は外国に住む」そう言った。その頃はお姫様になりたかったのだが、小学生くらいになってからは「外国で働く人になりたい」「○○になりたい」と、だんだん夢も現実味を帯びてきた。外国に行くためにと、日本の伝統文化を学んだほうがいい、英語はもちろん話せないと、半分面白がってでも真面目に子供の頃から学んだ。

大学受験するときも外国語に特化した大学に進んだ。幼い頃からの夢に向かって一歩を歩んだ。

就職の時も最終面接で、「父が病気で家を離れられません、もし合格したら自宅の近くで働くことを希望します」と言って働かせてくれる会社に就職した。その頃はまだボクも今とは全く違う病人ではあった。娘も息子も本当によく手伝ってくれた。

海外要員の人材であるはずが、海外にはすぐには行けないと話したのだ。大した勇気だなあと我が娘ながら思う。もちろん、「そうしてくれ」などと家族も希望していたわけでもなく、好きに羽ばたいていって欲しいと考えていた。それで採用されない事だって考えたはずだ。希望に沿った形で採用させてくれた会社には感謝しかない。

そして遠回りさせてしまったが今は彼女の夢の部署でその道に向かって仕事をしている。苦労をさせてしまった。頼るはずでなかった子ども達にとっぷり頼ってしまった。親バカなボクらは、子どもたちが可愛くて仕方ない。今でもそうだ。

そんな彼女が巣立っていった。幸せになって欲しい。


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