頼ったり、頼られたり。そうなることが理想の関係だろう。ただ、もう10年くらいになる闘病生活の中ではおんぶにだっこの状態が続いて居るようで心苦しく感じる。
最近こんなことがあった。我が家の一大事だ。
息子のところの次男が救急車で運ばれて入院騒ぎがあった。
容体は今となっては「大事に至らなくて良かったね」なのだが、まだ0歳。みんなで心配した。
ママは救急車に乗ってそのまま付き添いの入院となった。自宅に残ったのは2歳違いの長男とパパ。まだ、原因もわからない次男を看病しているママの心配は家族共通のLINEに送られてくる画像と文面から痛いほど伝わってくる。
ボクたちも心配している、連絡をくれるのもありがたい。
「こんな大変な時に」とも思うと泣けてくる。「ありがとうね」「まだ原因がわからないんです」そんな数日が過ぎた時その共通のLINEで息子が「ママが風邪をひいて付き添えなくなった、ボクもどうしても仕事が休めない、付き添いなくてももちろん平気だって病院も手配してくれるらしいんだけど、病室も今のところから変わるんだって」みんな心配だ。あの小さい赤ちゃんが点滴やら、酸素やらをつけて一人で寝ていられるのだろうか?具合が悪いからぐっすり寝て居ることも多いみたいだけど、起きていればぐずっている。
この場合バーバの出番じゃないか?
我が家が高齢者2人と寝たきりのボクを抱えているバーバが一人で頑張って居るような家庭なので息子たちは、なかなかそんなことを言い出せない。ボクは妻にめくばせをする。もちろん妻だって同じ気持ちだ。
「私が変わろうか?」妻がそう言うと「大丈夫ですか?そうしてもらえるのなら」
話は決まった。連休で妻ももちろん予定がなかったわけでもないだろうがそんなのは吹っ飛ぶ。
息子が休む体制を整える数日付き添いを変わることになった。
もちろん、妻がいなくなるこっちの家の手配は速攻行われた。この場合頼りになるのはこの人たちよね、と長年の付き合いで緊急対応もスムーズに行われた。ケアマネの昆野さんは我が家の無理難題をうまく捌いてくれる。「じゃ、早朝と夜も一回多くサービス入れますね」お願いしてもスムーズにことが運ぶヘルパーメンバーも決まっている。ありがたい。コンスタントに平均的に頼りのなるってのはなんてありがたいことか。
「こういうことをやってもらうからこの事業所の方がいいかもね」なんて頼んでみることもあるんだけど失敗することや断られることがしばしば。
安定してるってことが頼れるってことなんだなあと実感する。
こうして、妻がいない数日間、我が家は何事もないように過ぎて行った。「妻がチビの付き添いをしている」ってことで、いつもより曾祖父さんも曾祖母さんもボクも協力的だ。自分で頑張ろうという気持ちも多くなった気がする。チビも笑顔が戻ってきた。お留守番組のお兄ちゃんも頑張っている。おばちゃんにあたるボクの娘も妻のために病院に差し入れに行ったり、家族が一丸になってるなあと実感。
困った時は、まず協力する。頼っていいんだよ。頼ってもらえれば嬉しい。まだボクたちにもなんかできるんだって。まあ、ボクが協力したのは、「ベッドで寝てて」ってことなんだけど。それでも協力できて嬉しい。頼られて嬉しい。
タグ:頼る力