今年も3月11日がやってきた。今年は土曜日で朝からRCCの週末ナチュラリストをいつものようにつける。予告にもあったように、週末ナチュラリストで岡さんが福島県の双葉町を訪れた様子が流れた。
双葉町は、2022年8月30日に一部の避難指示解除がようやくされた。11年半かかってようやくだ。
岡さんがその双葉町を歩き語ったそこは、「避難解除されてようやく元の生活に戻れるんだね」とは程遠い街並みだ。
海沿いのその街には、「ダムの底」と住民が表現されるように大きなコンクリートの真っ白い防波堤が海と町の間を取り巻く。その先に原発の塔が見える。何回も映像で見た光景をラジオを聴きながら思い出す。確かにダムの底のようだ。すり鉢の底にいるような街。JR双葉町駅の前に双葉町役場がある。写真で見ると真新しい、立派な駅。けれど、インタビューした方の言葉は、重い。自分の知っている双葉町は、ああここにはこの人がいてこの顔がある。その隣のはこんな建物があって…目に浮かぶのはそんな昔の光景だ、それは全く戻ってきてはいない。戻らないかもしれないと。
アンケートでも双葉町にいずれは戻りたいと思っている方は全体の11%たらず。
もうきっと戻らないだろうと答えた方が60%以上いらっしゃる。11年という月日は長かった。ごく普通に過ごしていた日常が奪われて、避難所の生活が続き、移住した方もいる。まだ避難所の生活が続いている方だっているのだ。その自分が望んだ成句の場所ではないかもしれない場所で、子供は学校に行き始め、新たな働き口を見つけた方もいる。そんな懸命に生きている方々が11年たった今戻って来れるか…。しかも、除染作業は今も続いている。もうすっかりもと通りになったわけではない。
除染というのはヨウ素とセシウムの積もってしまった放射線汚染された土を取り除くこと。今も続いている。風雨によっても多少は消えていくが、ヨウ素131が半減していくには(放射線の量が半分になるまでの時間)8日間なのに対してセシウム137の半減期は30年!。街に住むための医療だって診療所が昨年の8月にオープンしたばかりだそうだ。飲食店も産業交流センターの中に一つある。やっとやっと動き始めたばかりなのだ。
3月11日、神奈川でその日を迎えたボクは、普段だったら30分もかからず車か、電車でいける娘の高校に3時間以上かけて夜中に迎えに行った。それでもなんとか学校にいるはずの娘を迎えに行かねばならない。携帯も繋がらず、停電で真っ暗な裏道を車で進んだ。
幹線道路は渋滞で全く動かず。ガスも止まった。咄嗟に水はどうだろうと蛇口をひねるまだ水は出る。溜めておこうと、風呂に水を溜め、鍋に飲水をためた。息子は都心の職場から歩いて翌朝帰宅した。ガソリンスタンドも並ばなければ買えないことが続いた。しかも1回に10リッター。ガソリンスタンドにガソリンが入ってこないのだから仕方ない。
ガス・停電は復旧したが計画停電は続いた。停電になるとガスも使えない。ガスボンベや懐中電灯用の電池を広島から送ってもらったりもした。そんな中、仙台や福島にも取材に行ったり、ボランティアに出かけたり、様々な東日本大震災を見てきた。が、私事で申し訳ない、その年9月に病に倒れ、志も半ばのまま時が止まってしまった。
今年、岡さんのラジオでもあったように、震災があって、コロナになって、色々なことが止まってしまったようでもあったが、ちょっとづつ動き始めたような気がすると。ボクにもまだ何かできることがあるんじゃないかと、週末ナチュラリストの岡さんのラジオを聞いて思った。
双葉町の復興は始まったばかりなのだ。
岡さんが行った双葉町の初発神社も新しい社殿ができた。朝のおつとめの太鼓が鳴るがまだお参りに来る方は本当に少ない。そんな胸が痛むような日常は続いているがそこで復興を少しづつでも進めていきたいと思っている方々が動いている、働いている。それを風化させないように何かできることを探していきたい。
■週末のナチュラリスト(2023/3/11)の記事はこちら
https://radio.rcc.jp/naturalist-blog/highlight/entry-29093.html
■週末のナチュラリスト radiko 最新タイムフリー聴取はこちら
https://radiko.jp/#!/ts/RCC/20230311070000