
久しぶりに広島に帰った。相変わらずの広島で安心するやら、仕事の形態がちょっと変わった店をみて「どうしてなんだろうか?大丈夫なんだろうか?」とついつい昔の癖が出てしまう。
先月RCCの番組「EタウンSPORTS」が22年という長い歴史に幕を閉じたと連絡をもらった。
始まりのEタウンという情報番組はずっと土曜の夕方の生放送だった。ボクが立ち上げからメインパーソナリティーという大役をさせていただいていた。
2010年4月ごろからはロケをしたものを流す仕組みと変わった時期もあったり、時間が変わったり色々遍歴を経て番組は続いた。ボクが2011年9月にクモ膜下出血で倒れてからも番組は続いた。
ボクのやっていた頃は毎週、土曜の生放送で流すために前日や、次の日に番組用のロケに出かけた。広島を元気にするため、元気な広島を見てもらうため、広島発信の企業や店を取材して回った。
「ここで日本を支える部品を作っているのか!」と驚く、有名な工場なんかも取材した。
船に乗って瀬戸内海の漁場を取材に行ったりもした。老舗の和菓子屋さんや、広島の牛乳やら。だから数ある取材した店がちょっと変わったことをやっていると気になって仕方ないのだ。追加取材したくなる。
時には取材中に「あら、ゆうちゃん」なんて昔からの知り合いの店だったりすることもあった。オタフクソースを取材した時もそうだった。自分が子供の頃はまだ全国区ではなかった会社だったが、今はもう日本の有名なソースだ。大企業になった会社を取材に行ったら「昔、ゆうちゃんを家庭教師してたから」そんなことを言われた。もちろんボクもわかっていて取材に行っているんだけど、もう何十年もあっていなかった。こんな大人になって取材に行っても頭が上がらない(笑)
「あそこの社長は母さんの女学校の同級生じゃけ」広島の人は繋がりを見つけては、親戚のような勢いで話す。誰々のなになにってぐらいだったらみんな知り合いだらけだ。それがいいところでもある。
東京に出てきて広島出身だってだけで物凄い親近感がある。広島のすごいところを取材できたEタウンは広島にとってもすごい番組だったと思う。ボクも広島の底力を知れるいい番組だった。
先日帰った時の食事会で、「岸田総理ともうずっと同じ散髪屋じゃけえね」と威張っている同級生がいた。「で?」な、話ではあるんだけどだからもう知り合い同然な話になっていてみんなその話をおもしろおかしく聞いていた。次の日「核兵器のない世界」に向けた国際賢人会議で来広していた岸田総理に平和記念公園でその友人と一緒に遭遇した。前日知人同然と話していたその彼とずっと遠くから、献花をするその光景を拝見した。
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