8月6日 原爆の日が今年もやってきた。昨年からコロナウイルスの影響やオリンピックなどでイレギュラーなことも多いが心の中のその日は、広島にはいや日本には毎年訪れる。
この後に9日には長崎にも同じようにその日がやってくる。

今年の平和記念式典でも、毎年行われている「平和への誓い」が二人の小学6年生によって語られた。
今年はなぜだろう?その子供たちの言葉が心に沁みた。

第一声から「ん?」と思った。ここ何年かは毎年聞いていたはずの言葉だったが中継を見てからもう一度その言葉を聞きたくて探したぐらいだ。

「私たちには使命があります」
戦争など知らないまだ小学生の子供たちにどんな使命があるのだろう。「まだ子供なんだから」と差別しているわけではない。

偶然にも広島に生まれ育った子供達が昭和20年8月6日に起こった悲惨な出来事を知ること、被爆者の思いや願いを聞き考えること、平和の尊さや大切さを世界に人や次の世代に伝えなければいけないという大きな使命。
それをこの子供達が担っているのかとしみじみと考える。

起きてしまったことによって肉体的にも心にも傷を負っていた被爆者が生きることをあきらめず、自分たちで広島の街を復興させていこうと立ち上がったこと。

ぼくの母も被爆者の一人でまさしくその時代を広島で過ごした。広島の人間なら「ああ、あなたもよね」そんな当たり前のように周りにはたくさんいらした。でも年々少なくなってきている。母もすでに他界している。
母も晩年になるまでは多くを語らなかった。辛すぎる過去だったからか。

が、東京から夏休みにくるぼくの息子には戦争のこと、その日のことをぽつぽつと話していたことを思い出す。平和記念館に訪れては色々な話をしていた。ボクにとっては不思議な光景ではあったが(ボクにはあまり話さなかったので)今思えば、伝えておかなければいけないと思っていたのかもしれない。

「本当の別れは会えなくなることではなく忘れてしまうこと、私たちは犠牲になられた方々を決して忘れてはならない」そう平和への誓いで語られた。憎しみを継承するのではない。悲惨な過去を繰り返さないために忘れてはならないのである。子供たちにこんな使命を持たせてしまった過去の大人たちの罪は深い。相手国だけの話ではない。平和であることの尊さを発信して行くことの大切さが、今回の原爆の日はより強く感じた。

この数年得体の知らない敵と人類は戦っていてそんなときに人間同士がいがみ合ってる場合じゃない。この子供たちの声をよく聞いた方がいい、と強く思った次第。