人生において車椅子の生活になるなんて思っても見なかったわけだけど、それは突然襲ってきた。自宅に帰ってくるという決断だって家族の英断だった訳でもしかしたらリハビリ病院から施設に行っていたかもしれない。
実際、家で動き回れるなんて(車椅子で介助してもらってだけど)誰も思っていなかったから住宅改修も退院の時はしていなかった。
家に帰ったって、文字通りベッドに寝たきり。大掛かりなリクライニングの車椅子に多少うつるぐらいというのが当初の予想だった。
ところが、予想に反して退院の当日からボクは大変身を遂げる。
それは家族しかいなくなったということがかなり大きく影響していると思う。
息子と妻、それに高校生の娘。一日の大半をその三人の素人がボクの面倒を見てくれるのだ。
全くの素人。くも膜下出血になってちょうど1年後の退院だった。
妻とは1日中一緒にいるという結婚以来の毎日が始まった。こんなに一緒にいたことはない。大体週の3分の2ぐらい家にいなかったのだからこんなに長く家にいることもなかった。
妻はベッドに寝ていることを嫌い、大きな車椅子でリビングに一緒にいることを好んだ。
そうすると、トイレに行きたくなったボクがほんのちょっと体を捩ったり、顔を歪めたりすると「パパトイレ?」と聞いてくれる。おしっこは間に合わないけれど便はそれからでも間に合うってことが発見される。喋ることも顔を上下に振るのもまだあまりうまくできなかった頃。
9月に退院したのでまだまだ暑かった。汗をかいたり、失禁したりシャワーを気軽に浴びられたらいいのにと思うようになった。それまでは施設に行って入浴するか毎日、ベッドで体を拭いてもらうかで入浴の自由がなかった。
ケアマネさんにそれを相談すると「ええ〜!」っと驚いて、「ご家族がやるんですか?」とそれに次いだ。「そう家族がトイレにもお風呂にも連れて行きます」
「ええ〜」驚きの声。しかも「外に連れて行きたいから階段にリフトを」そんなに異例なことなのか?その頃のボクの体の状態を考えたら当たり前だったのかもしれない。
その約9年前の退院の時にやった住宅改修。車椅子で使い易い家をは言えない自宅で今も過ごしている。体の状態は良くなったようなそのままなような… 意思の疎通は間違いなく向上しているのだろうが体の状態はどうかな、自信ない。
今時の住宅改修はどんなか見てみたいというお願いを気持ちよくOkしてくださった茨城県龍ヶ崎市にあるフローラさん。福祉用具レンタルなどを手広くやっておられる会社だが、今回お邪魔して驚いたのは研修センターという名の古民家。2DKの昔ながらの一軒家。玄関からトイレがあり、4畳の台所、二間続きの和室と昔々の浴室。昭和40年代ごろの建物か。そこをどうやったら快適に過ごせるか、この人だったらどうか試せるようになっているという。
「ここに神足さんがきて何が実用だと思いましたか?」そう聞かれて「まず、玄関に段差があって家に入れない」「ベッドは、起き上がるために柵もいる」「和室と台所に段差があって動きづらい」「せっかくお風呂があっても洗い場にも入れない」「トイレも90度の角度があってドアも邪魔で入れない」さまざまなことを言いたい放題。打ち合わせなしでこちらの意見をお話しした。
ベッドのある和室で1時間ほど代表の鬼束有希さんと介護の困ったこと、最新介護グッズなどを雑談する。この話はまた今度。同じ広島出身と伺い親近感を覚える。
で、ドアが開いてびっくり!コンコンと大工さんがいるような音がしていたので何かしているのは分かっていたがここまで変わるとは!!
まず、台所全面にフローリングがはられ、和室との段差がなくなっている。トイレのドアが引き戸に変わる。中にも手すりがついている。お風呂にリフトがつく。縁側にもリフトはついて外からの出入りもできるようなっている。
「これでどうでしょう?」妻と二人で新しくなった家の中を確かめる。
全く使えなかったトイレは妻がちゃんと介助し易いところに手すりもついて、邪魔だったドアも引き戸に変わっている。お風呂のリフトはつるべー。狭い風呂場でも湯船にも洗い場にも狙いを定めて。一番感動したのが、現状のフローリングの上に厚さを増すようにフローリングを重ねて段差を解消したこと。転びやすくなった高齢者にもこの段差解消はいいだろうし、何より家が綺麗になった。車椅子でも部屋の行き来にストレスがない。住宅改修の初期費用で行えるのはこれのうち1箇所ぐらいの予算らしいが(行政の介護保険補助金を使って)やってもらわない手はない。