今年も原爆の日がやってきた。いつからだろうか?この日を全国で「祈りの日」と呼ぶようになったのは。もちろん広島ではその日は特別な日で、夏休み中ではあったが学校で平和学習の日で登校日だったり広島の街が人でごった返す。その日に合わせて祈りにやってきた世界中の人々が広島に集まるのだ。なんとなく街の中がざわついていた。平和記念公園で行われる式典には1万人ほどの人が参列する。

75年前のキノコ雲の下で犠牲になったのは市民。ボクの母も爆心地から数キロのところで被爆した。広島の人間だったら被爆した母や親族を持つことは特別のことではない。人間も草木も庭で一緒に遊んでいた犬もみんな一瞬で黒焦げになった。消えてなくなった。当時広島には35万人の人が暮らしていた。一瞬にして壊滅的な打撃を受けた。

毋は戦争の話をあまりしたくないようだったのでボクから聞くことはなかったのだけど、ボクの息子には違った。東京産まれの孫には帰広した折には平和記念資料館にも一緒に行っていたし、戦争の話もしていたようだった。どうしてそんな気持ちになったのか母に聞いておけばよかったと思う。息子がどう感じたかわからないが毎年夏休みそれは数年続いた。息子を通じて母の戦争体験の新事実も見えてきた。

思い出したくもない投下の次の日の朝、母が学徒動員で駆り出されていた縫製工場にお父さんが迎えにきてくれたそうだ。中心地にあった自宅に帰ってきた時の様子はよく他のところで聴いていた話と同じような話だったが、母の口から聞くそれは全く違って聞こえた。母が長年口をつぐんだ気持ちもわかったような気がした。
父(ボクの祖父)に連れられて歩く街は地獄絵図だったと。死体を抱きしめて放心状態の皮膚が焼け爛れている女性。迷子の傷だらけの子ども・・・しばらくすればウジが身体中に湧いて物乞いする人。

あれから75年。今年は新型コロナウイルスのせいで異例ずくめの式典だった。式典の規模はともあれ、もうあの悲惨な過ちが行われないため8月6日、8月9日は全世界に向けて祈る長崎の、広島の、日本の祈る気持ちを発信していかなければならないと感じている。


2017年11月 平和公園にて


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