広島の町はいまどんななんだろう。本通りはどのぐらいの人出なんだろう?友人に聞いてみると「さすがに流川は人が戻ってきたってわけにもいかないけど、町の中は普通に見えるよ。広島は発症もう××日してないし」とのこと。こちらとはちょっと温度差があるのを感じる。

町と町の温度差だけではない。同じ土地に住んでいてもその感じ方は人によってさまざまだ。もちろん置かれた立場によっても違う。身近にコロナウイルスに感染してしまった人がいたら「すぐそこに死の淵を見た」なんて本当に恐ろしい思いをした人もいる。医療従事者であっても、「そんなに怖がることないですよ」という人もいれば「神足さんは家からなるべく出ないほうがいい」そう真剣に忠告する人もいる。緊急事態宣言が解けたいまだって「さあ、どう日常を取り戻していこうか?」と躊躇してしまう。取材が命のボクだって取材にだって行けない。受け止め方は人それぞれ。地域によってもずいぶん違う。

最近のコロナ話はマスクの話でもなく、リモートワークでもなく、人間そのものの話が多くなってきた。

やたらギスギスしている人の話も多い。こんな状況に心身ともに疲れてしまったのかもしれない。

「職場で嫌味をいわれた。普段なら流せるのだけど心にひっかかってしまった。相手もいつもより強めだったような気もする・・・」相手も自分の心もほんのちょっとだけ余裕がなくなっている。

14世紀に起こったペストの流行のときと人はちっと変わっていないとよく比較される。

目に見えない敵と戦っているときは、一緒にいる職場の人やいままで仲間だった人を、どこからとも無くやってきた敵となぜかおなじように攻撃したい心理が働くんだそう。いくつもの根拠のない理由をあげつらって見えない脅威と戦っているつもりになるらしい。そこにいる人を攻撃することによって見えないウイルスや敵と戦っているつもりになるらしい。

いい迷惑だ。ペストのときは、そんな人間の心理がうわさを呼び集団心理をうみ、暴動までとなった。

今回もこのギスギスがへんな方向にいかないように深呼吸をしたい。

「身近にいる人とギスギス過ごすか、受け入れて過ごすか」これは緊急事態、災害時においては天と地の差がある。「電車でくしゃみをしたらにらまれた」「並んでいたら離れろとどなられた」そんなはなしをよく聞く。では、どうしたらそれを払拭できるのか?

自分が信頼できる誰かとの安心できる発信や話し合いが重要だという。そう、コミニケーションが不十分なのだという。人と会わなくなった分、圧倒的に誰かと話す事が少なくなる。それは、ギスギスの種だったりするのだ。



タグ:時事