内輪なはなしで申し訳ないが、娘の誕生日だった。
当日は娘を祝ってくれるべつな友人がいるとかでちょっとずらしてお祝いをした。いまごろどうしているか?楽しく祝ってもらってるんだろうか?なんて考える。ありがたいことだ。
娘は元旦の予定日だったがずいぶん遅れて産まれてきた。明日までに兆候が無かったら促進剤を使いましょうといわれて帰ってきたその夜に「じゃ、そろそろ」という感じで産まれてきてくれた。
ボクが結構忙しい時代に産まれてきたので不在なことも多かったが、きっと妻の育て方がそのあたりはうまかったのか長男も娘もいいかげんなボクを慕って育ってくれた(と、思う)。
ようやく歩けるようになった頃は、2週間ぶりに身体も心もやつれた状態で帰ってきたボクに全速力で走りよって迎えてくれた。そうすると、まさしくするすると魔法のようについていたものがはがれてあったかくなる。そのままぷくぷくとした脇に手を入れて持ち上げると、両足をばたばたさせて喜んだ。「パパもうれしいよ。ああ、なんて幸せなんだろう」そう思ったものだ。
家を一歩外に出れば別の顔をもっていただろういい加減でおっかない自分も、その空間ではパパになる。夫にもなる。
そんな時、自分もちょっとは普通の人間だって思える時間があった。
家族を持ってよかったなあと何十回も思った。もし家族がいなかったらまともな人生を過ごしていなかったかもしれない。誕生日を祝うという感謝の日を普通に行なえるような人間になれてよかったと思う。ああ、しんみり。
「なんだ、文子は誕生日にいないのか?!」と妻にいうと「もう何年も前から当日はいないわよ」とたしなめられた。「あ、そうだったっけ?そうなの?」
いまは毎日会社から帰ってくるとボクのベットまできて「パパただいま」と挨拶する。その声で「今日は忙しかったのかな」とか「いいことあったのかな」なんてちらっと思うが、もちろんそんなこまかいことは口に出すこともない。
ボクが倒れて8年。車椅子を押したり移乗させてくれたり、介護が上手な女の子になったが本人はあっけらかんとしている。よく手伝ってもくれる。どう感じているかはきいたこともないのでわからないが。
苦労させてしまったなあと胸も苦しくなることもある。しかし、彼女もこれから自分の人生をしっかりと歩むべく経験を毎日してちょっとずつ大きくなっていってくれればいいなと思っている。
彼女の誕生日に、産まれてきてくれたあの日を思い出してちょっと幸せな気分になった。
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