もしも自分が床に臥してしまい動けなくなったとしよう。そこで思い描くことは何だと思いますか?
痛くて辛くてそんな余裕なんてない方もいるかも知れないが、ボクのようにじっとベッドにいる時間が長いとあれこれ思いを馳せる。
うとうとしているときは、仕事の夢を見ていることが多い。いまだに原稿の書き出しはどうしようと考えたりする。それは実際書く時にはすっかり忘れてしまっている。「ああ、いいアイディアだったのにすっかり忘れた」「遅刻しそうじゃないか、あと30分早く起きればよかった」「車がもう来てる?車の中で資料を読んで向かうとするか」・・・けっこう忙しい光景が夢と現実の間でゆれる。ふっと気がつけばベッドの上。ああ、夢だったのか、妄想だったのか。
それと昔行った場所の場面がそれこそ走馬灯のように現れたりもする。もう一度いってみたいなあと思う。
意外にもボクの場合故郷の風景はあまり出てこない。きっとそれは思い出が詰まりすぎていて思い出すと心がささくれてしまうようなそんな危機を感じているのかもしれない。思い出さないように自動的に封印しているのかもしれないなと思ったりする。
よく脳裏に思い描く場所は意外にもパリの冬である。
パリ自体には結構いっていて冬のパリは3回いったことがある。
最初は新婚旅行だった。雪が積もったクリスマスイブにオペラ座でくるみ割り人形のバレエをみた。しかも新婚旅行だというのにパリ在住のボクの大学時代の女友達と3人で出かけた。そのときの女子2人のコートを着た後姿と雪景色をよく思い出す。二人は嬉しそうに話しながら友達が案内してくれるレストランにむかった。話の内容までよく覚えている。その友人に頼まれて日本からおせち料理の材料をダンボールで運んできた。新婚旅行のJALパックツアー客には似つかわしくない段ボール箱。シャルルドゴールの税関で開けられた。乾燥した昆布や海苔や栗の瓶詰めや押し寿司の型なんかが入っていて「これはなにか?」と詰め寄られ英語でもなかなか説明できなかったという話で大いに盛り上がっている。レストランの帰りにタクシーが捕まえられなくて3人でノートルダム寺院まで歩いた光景。そして前日の23日のエルメスはバーゲン会場のような混雑でスカーフが本当に宙を舞っていた。恐れおののいたボクたちに優しく接してくれた店員の顔。セーヌ川のクルーズ船の船着場のみやげ物屋でエッフェル塔の絵のついた爪切りを買っている妻。「なんでそんなの買うの?って思ってる?」ととても嬉しそうにきいた顔。その爪切りは二代目だけどまだ家にある。
そんなことをベッドで思い出していると「もう1回いきたいなあ」と思う。いけないだろうなあと思うがその場所にもう一度立ってみたいと思う。
そういう場所は何箇所かあって「宮古島」「香港」「ロンドン」「本栖湖のキャンプ場」「那須のキャンプ場」「軽井沢」「花巻」・・・・挙げてみれば結構ある。
ベッドの上で頭によぎるのは思い出の地の光景が一番多い。動けないからなのかなあ。
まだまだ諦めたわけでもない。いきたい場所の地図をいった地図に塗り替えたいと思っている。