小林恭二さんという小説家であり大学の教授であり、俳人でもある方の還暦祝いに出かけた。その会は急に決まったとかでどのぐらいの人数が集まるかもわからず、当日だって「どうなんだろうね?」ともう開始時間を過ぎた静まり返ったBARの店内で幹事と前祝いのビールを飲みながら待っていた。


小林さんとは、行きつけの酒場で出会った。
小林さんは文章とはどうあるべきかってことが良くわかっているプロ中のプロの物書きだ。ボクが物書きだなんて名乗っているのが恥ずかしくなる。歌舞伎のことや何年もかけて調べ上げた大作には圧倒された。


けれど、酒場での小林さんはものすごくおもしろい。「ああ、天才なんだろうな」そう思う一般人を逸脱した会話があった。自分のこともよく話されたがそれ自体が小説になる、そんな人生を送られている。まあ、話が面白いのは物書きの原点かもしれない。奇才である。


宴会の開始時間をちょっとすぎた頃にどやどやっと若い子の集団が入ってきた。小林さんもそのころ到着。どやどやっと4人ずつぐらいの若者の集団と、これは出版関係者かな?という年配の男女が来ると思えば小さい子どもがいる家族連れが入ってくる。「先生おめでとう!!」ここでの三人称は「先生」であるらしい。


せまい店内はあっという間に満席、定員オーバーとなる。心配なんてする必要も無く数日前の告知だというのに愛知や長野など遠くから駆けつけた元教え子なんかもいて句会の知人や歌人、出版担当者やボクみたいな飲み友達などなど・・・還暦を祝うために集まった。

一人ひとりが先生との出会いを話し、お祝いの言葉を述べた。先生がそれにコメントしていく。そしてそこには夜の顔しかほとんど知らない小林さんの、先生としての顔を感じることができた。『いい先生なんだなあ』そう実感する。


幼稚園から大学、習い事に部活など、先生とは様々であるが「いい先生」との出会いはその人の人生を左右するといっても過言ではない。「いい先生」が他の人にとっても「いい先生」であるかはわからないが、自分では気が付かなかった自分を探し出してくれるかもしれない先生に出会えるってことは大きい。


「ちょっと文章が書くのが好きだ」そう思っていた女の子が小林先生に出会って文章を書くことを学びいい作品を書き上げていく。就職を相談する。間違いだらけの文章のダメ出しをする。そして学生たちは文章に厚みと磨きをかけていく。なによりも先生との信頼関係が半端じゃない。親とは違う、先生という名前の一番身近にいる先人として関係を深め若い学生は学んでいく。

自分の場合はどうだっただろうか。幼稚園の先生が、ゆうじくんの作った物語がとっても面白いと言ってくれ、それ以来文章を書く面白さが芽生えたのかもしれない。または、小学校6年生の時に平泳ぎの選手だった僕を水球部にスカウトしたあの中・高校の先生との信頼関係はその後の僕の人生を変えたのだろうな、とも思う。あの時あの先生の言葉がなかったら、あの時僕を見出してくれなかったら、そう思う瞬間がある。娘や息子もその個性を生かし見つめてくださった先生がいた。今更ながら今回の還暦の会に参加したぼくは先生と言う職業の偉大さを感じた。小林先生はそれを思い出させてくださるような先生だ。


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