ベッドの上で気が付けばボクは全く動けない身体になっていた。
歩くこともできないし、起き上がることも寝返りも打てない。話す事もほとんどできなくなって、記憶することも苦手である。

ボクの記憶の最後は、RCCのEタウンの取材を終え帰路に着く広島空港の光景。ラウンジで座って今度できる東京の広島物産店の資料に目を通していた。そして飛行機に乗って羽田にもうすぐ到着となる頃具合が悪くなったのだ。
それが最後の記憶。

クモ膜下出血だった。飛行機が到着すると待ち受けていた救急車に乗って大学病院に運ばれた。

それからすぐ、緊急手術になった。
「どなたか知らせたほうが良い方がいらっしゃったら」そう言われ家族は「もうだめだ」と思ったらしい。

1ヶ月間ICUでこん睡状態の末もう目覚めないかもしれないといわれていたが奇跡的にボクは目を覚ました。
記憶もないかもしれないといわれたらしいが家族の顔がわかったという。それから1年の入院生活の後、ボクは自宅に戻ってきた。それから4年になろうとしている。

昔のことは覚えているが新しい記憶は曖昧でパズルのパーツのようにある断面だけを思い出すことがある。それがつなぎ合わせれば記憶はつながっていくのではないかと思っている。忘れないためのメモ書き。記憶のための写真。家族が聞かせてくれる話。時にはこうして書いた原稿を頼りに新しい記憶が生まれている。そんな壊れた脳でもボクはこうして書くことができる。書くことができたから記憶も少しづつではあるけれどつながるようになってきた。



ボクは元気なころコラムニストとしてやテレビラジオで事件や色々な情報を追ってきた。こんな身体になってしまっても、いやこんな身体になったからこそお伝えできる情報がたくさんある。この4年体験した話や今現在の話もお伝えできたらいいと思っている。車椅子でなるべくたくさんのところに出向いて話して行きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。


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