重度障害者が国会議員になったことについて意見を求められることがある。

まずは、障害の有無、それが重度であるか否かは国会議員の本質の部分では全く関係ないことだと思う。男か女かその性別によってトイレが別であれば障害者用のトイレも当たり前のようにあってもいいと思う。もう障害者だからという区別は必要ない。歩けない方には歩くのと同じようにできる環境を、見えないのであれば見えるのと同じような環境を、その方が必要とされるのであれば最低限の環境は整備されるべきであると思う。ボクたちの血税を使ってのことだ。湯水のごとく改造に使用するという意味ではない。普通の国会議員と何の代わりも無く活動する場所を与えられてもいいのではないかと思っている。


その人を国会議員に選んだのはまぎれもなく国民のしかも当選するだけの賛成者を得てのことだ。

その人の働きを期待して投票したのだから、いまさら「十分に働けるのか?」という議論からはじめるのもおかしい。期待に添えなければ次の選挙では落選するだろう。いままでにだって〇〇旋風とか××の一派の風に乗ってなどなど圧倒的民衆の波に乗って当選した方々もいらしたが、あたり前だが人々の目はきびしい。これからの彼らの政策にかかっている。

ボクが障害者になって感じることは、健常者がいくら障害者の立場になって考えて考えて考え抜いて作った、例えば劇場があったとしよう。考え抜いたはずだがそれでもやっぱり障害者やその立場になってみないとわからない細かなことがたくさんある。

障害者といっても10人いれば10人とも何等かが違う。だから全ての人にぴったりくるものはなかなか作れない。けれど、健常者よりは障害者の気持ちも使い勝手もわかるはずだ。

法案だってハードウエアだってその立場の人間が国会議員にいて意見が言えるということはかなり大きい働きだと思う。いろいろな立場の人が国会議員にいてくれたら深く議論できるのではないだろうか。男性に立場で、女性の立場で、ジェンダーフリーの立場で、というように様々な人がいる。それと同じように健常者の立場で、障害者の立場で同じように議論できる場ができて世の中ももっとよくなる。



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