働くということは普通の場合、人にとって必要不可欠なことだ。どんな働きをするかは個々によって大きく変わる。

働くとは大きくは就労を意味するが、生まれたての赤ちゃんだって親に責任感や愛情を働きかけている。

高齢者が引退してからも就労したいと思うのはもちろん金銭的なこともあるが、社会貢献や身近な人、例えばパートナーに喜んでもらいたいから、なんて理由もあるだろう。最近「精神を病んでまで働く必要もない」そんな話もよく聞く。そのとおりである。

就労には「天職」と「適職」がある。

よく「あなたの職業はほんと天職ね!!」なんていう会話を耳にするだろう。
ボクはひょんなことから文筆業という職業を与えてもらった。「天職」だと思っている。「天職」とは辞書で調べれば天や神がその人に与えたぴったりの職業という意味らしい。



やりがいがあり、自分がのめりこむことができ意欲的に没頭できて、たとえお金がもらえなくとも続けたいと思うような職業のこと。今となってはボクに他の職業があったか考えるのも難しいほどだ。
「仕事としてお金がもらえなくとも」っていうのには疑問も感じるが、修行の道は苦しくとも続けたいとか、お金にならないがプロのスポーツマンとして続けたいとか。
まあしかし、本当の意味の天職には生活に困らないだけのお金も少なくともついてくるんじゃないだろうか。

もう一つは「適職」。

適職の意味はその人に適正があるような職業という意味。
本人が楽しいとか感じなくても適正はある職業のこと。本人は成績も残していて頑張れているが、自分のやりたい職業とは全く異なっていて充実しているわけでもない。そんな職業を「適職」というらしい。
この話は妻がよく通っている桜新町の整体師の三宅さんが話していたはなし。これを伝え聞いた。

「天職」だと自分が思える職業についている人は全体の数パーセント、100人いて1人か2人いるくらいだという。そうかもしれない。ましてはそれで食べていかなければならないのならもっと少ないかもしれない。適職をもてるならばまだまだよい。幸せである。そんなにモチベーションがあるわけでもないがとりあえずこなしてお給料はもらえる。世の中の人はきっとそんなもんだ、と諦めてやっていけるぐらい。けれどその中に喜びを見出す人だっているし天職に上り詰めることだってあるかもしれない。逆に適職からも脱落するかもしれない。

自分が天職だと思える仕事についていることは奇跡にちかい。けれど考えてみたら天職だって挫折や「やめてしまおうか」なんて崖っぷちに立つことだってある。育んだ先に天職と気がつかされたというのが正しいのかもしれない。天職は諦めないで続けられること、先に希望があること、それが自分の中に見つけられたらそれが天職だと思う。


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